
戦後、職人に法外な事業税がかけられ、自殺者を出すほどの大変な重税とのたたかいの中で京建労の前身「全京都自由労働組合大工支部」が1950年7月に設立されました。 (連載第1回参照) 結成まも……

1970年の日雇健保擬制適用廃止で49%もの組織を失い重大な試練に立たされた京建労は、体制を立て直すために1971年の第19回大会で「本部執行部体制の強化」「1万人の組織づくり」、1972年の……

2016年1月29日、関西建設アスベスト京都訴訟(1陣)の京都地裁判決は、国とともに、全国で初めて企業の責任を認定する大きな前進を切り開いた判決となりました。判決を受けて京都地裁から駆け出してきた弁護……

1984年5月の京建労第32回定期大会で、山科支部代議員がアスベストの危険性を告発。「建築ニュース」は同年10月より「いま石綿建材を問い直す」という連載を開始しました(1985年3月まで)。 これ……

1970年頃は、仕事が原因で発症する腰痛などは、労働災害と認められていませんでした。 1969年8月、京都で開かれた第1回労災職業病学校に参加し、京建労での健康調査の機運が高まり、1972年には腰……

1950年代後半からの高度成長期の個人住宅需要により、技能労働者不足と待遇改善の要求が高まる中で、建設業界は地域の施主への理解を求める運動が中心でした。 建設労働者の賃金・労働条件について協定を結ぶ……

[caption id="attachment_10150" align="alignright" width="300"] Scanner[/caption] 「町づくりの建築職人は、町壊しの……

[caption id="attachment_10094" align="alignleft" width="300"] Scanner[/caption] 私たちの要求を受けて、民主的な政治……

労働組合の原点は“助け合い”の共済活動です。「総合共済」は、日雇健保擬適廃止のダメージから立ち直るべく1971年5月に「総合共済・A型」の名称で発足。 1970年から1973年の3年間は日雇健保擬……

1970年2月、政府は前国会で廃案になった日雇健保改悪案を再提出。全建総連・日雇共闘は「原案より悪い修正案は受け入れられない」としてたたかいぬき、国会最終日の5月13日、参院期限切れ・廃案に追い込み……