

2025年10月15日
1970年の日雇健保擬制適用廃止で49%もの組織を失い重大な試練に立たされた京建労は、体制を立て直すために1971年の第19回大会で「本部執行部体制の強化」「1万人の組織づくり」、1972年の第20回大会で「支部書記局複数制」などの課題をかかげ運動を強めました。
要求課題では、1970年からの建設業の登録取得運動、1971年に大型共済制度の発足、1972年に指定教習機関認定・作業主任者技能講習、腰痛認定闘争、また1971年からは蜷川民主府政による住宅改良融資制度などが始まり、要求を基礎とした組織拡大によって、擬制適用廃止の痛手から、回復に向けた大きな運動が開始されました。
1980年に創立30周年を迎え「組織整備・地域に根を張るための拡大」を強調して仲間ふやし運動を一層具体化。1981年京都市勧業館で「京建労まつり」を開催し3300人の参加で成功させて、その勢いを組合内外に示しながら現勢8500人を突破。
1982年の仲間ふやし月間で、ラジオスポット宣伝など新たなとりくみや、仲間ふやしの支部間競争が行われて現在につながる活発な「仲間ふやし運動」がスタート。1983年3月には円山公園音楽堂から仲間と家族があふれる伝説的な集会「3・20くらしと平和を守る建築職人大集会」に5600人が参加。1983年10月11月の組織拡大行動にはのべ3800人が参加するかつてない運動量をつくりだしました。
1983年に1万人を回復。日雇健保擬制適用廃止による攻撃で失った組織を13年かけて回復させました。1988年に1万2000人を突破(現勢1970年1万1500人・1971年6800人)し、攻撃前を上回る組織を実現させました。
創立40周年の1990年は、1万2855人の現勢で90年代を迎えました。「40年間の京建労の団結とたたかいの成果を全体に広げ、新しい峰・1万5000人の組合建設」を第38回定期大会で確認。
1992年の第40回定期大会で「2万人建設3ヵ年計画」と本部新事務所の建設計画を決定。1995年に「2万人の京建労実現で、45周年と新事務所を建設しよう」をスローガンに組織拡大に挑戦し、10月19日にみごと2万人を突破。11月26日には、新事務所「京建労会館」(現・本部事務所)の竣工披露と、600人の参加で「新事務所竣工・京建労45周年2万人達成祝賀会」を開催しました。
1985年7月に組織強化の要として方針化した「分会の時代」をめざし、第1回目の「分会長会議」が開催され、分会を基礎に地域に根付いた運動を強めて班長の役割を重視。「日常的な世話役活動」への参加と、分会三(五)役体制の確立をもって「班集会」の開催をめざす活動が本格的にスタート。さらに分会の自主性・主体性を高める契機とする視点からの「住宅デー」の開催や、レクリエーション活動を重視することも確認されました。
1997年3月には、最高現勢2万690人を記録。その後、消費税5%増税等による大不況の影響で、ジリジリと後退し2万人を割り込んだものの、2000年11月19日に「50周年まつりを2万人現勢で迎えよう」と奮闘し、瞬間的ながら2万人を回復して「京建労50周年まつり」を開催。伏見桃山城キャッスルランドを貸し切った会場には2万2000人が詰めかけるという大成功をおさめました。
2010年の創立60周年を記念した「京建労まつり」は、京都府総合見本市会館パルスプラザを会場に仲間と家族はもとより1万人を超える府民が集い連帯の輪を広げました。
2020年には「京建労70周年・未来につなぐ建設2020」と題したイベントを京都パルスプラザで準備しましたが、コロナ禍のなかで中止を余儀なくされました。現在、2025年度に迎えた75周年を記念して2026年2月15日に「京建労75周年フェス ファミリーデー!」の開催準備がすすんでいます。
大集会や大型イベントの成功に向けた活動を通して仲間と家族がつどい、「おらが組合」の担い手を広げて仲間をふやす。京建労はいつの時代も情勢に負けず「仲間をふやして要求実現」と意思統一して、家族ぐるみの団結で前進を勝ちとってきました。
【建築ニュース1276号(2025年11月1日付)】