第48回住宅デー 6月8日(日)
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原水爆禁止世界大会に仲間の代表26人が参加/「核兵器で平和こない」と80年目のヒロシマで

2025年9月3日

 被爆80年、戦後80年の8月を迎えた広島で、「原水爆禁止2025年世界大会」が8月4日~6日にかけて開催され、京建労代表団26人が「ヒロシマデー集会」や分科会などに参加しました。
 「原水爆禁止世界大会・国際会議宣言」では、「ヒロシマ・ナガサキの被爆の体験と実相を受け継ぎ、広げることを運動の中心にすえて、核兵器廃絶を共通課題とする行動を世界各地で多様にくりひろげよう」などと訴えて、環境と気候危機、貧困と格差、差別と排外主義、人権と民主主義などの課題にとりくむ運動との連帯・共同をよびかけました。
 また、全建総連と広島建労の共催で「原爆犠牲建設労働者・職人之碑」前で行われた「第37回慰霊祭」は8月5日に開催され代表が参加して「名水」を献納しました。なお、京建労代表団団長として野田副委員長が参加しました。


行動にうつしていく/核兵器廃絶に思い新たに

【本部・野田団長】
原水爆禁止世界大会に参加して、原爆はこの世に存在してはならないし、戦争や紛争がなくなる世の中が来るのを願う気持ちが高まる感情を感じてきました。
80年の節目ということで、被爆の体験を語り続ける被害者が少なくなる中でどんなとりくみがされているのか、関心を持って参加させていただきました。
私は、「被爆・核実験被害者の実相普及、被爆者援護・連帯、核実験被害者の支援」分科会に参加しました。
この分科会では、広島市基町高校の「原爆の絵」の紹介があり、高校生の描いた絵のスライドとともに、被爆された被害者の体験をお聞きしました。
この分科会に参加して核兵器廃絶の思いをもちながら、日々の生活や仕事、組合の活動で薄れていた私に力を与えてくれました。
世界の草の根の活動が、核兵器禁止条約制定に導き、今73ヵ国が批准する中で、唯一の戦争被爆国、日本が批准していない現状ですが、もっともっと草の根の活動に広がりをもたらして、対話による世界平和を主張できる日本に変えていけたらと思いました。
また、私のできることから行動にうつしていきたいと思います。

語り継ぐ責任感じる/抑止論で平和は訪れない

【北・竹田書記】
被爆から80年が経ち、当時の体験を語り継ぐ「生の声」には、重く深い意味があります。
語り部の方々は、当時のことを驚くほどよく覚えておられ、情景が目に浮かぶほど細やかに語ってくれました。時折言葉に詰まるようすは、80年経っても癒えない心の傷を思い、とても苦しくなりました。
戦争が人の心まで壊していくと、あらためて感じました。
原爆資料館や碑めぐりでは、ガイドの方の話を通じて当時の情景がよくわかりました。爆心地近くの川のそばにあった「広島二中慰霊碑」には、300人を超える中学生の名前が刻まれており、その内100人ほどは熱線や衝撃波により即死だったそうです。
あの日この場所でおきた残酷な情景が目に浮かび心が痛くなりました。
唯一の戦争被爆国である日本が果たすべき責任として、核兵器禁止条約に一刻もはやく批准するべきです。「核抑止論」では本当の意味での平和は訪れません。使われなくても存在している限り、核の脅威は続いていきます。
小学5年生の子が作った歌や、高校生が描いた絵が紹介されました。「今の自分にできることを精一杯やろう」という思いが感じられ、私自身も次の世代に語り継いでいく責任を強く感じました。

二度と繰り返すな/気が付けば頬を伝った涙

【主婦・女性の会 木下さん】
一日目、私は被爆者3人の語りを聞いた。原爆投下の日、家族を失い、家を失い、未来を奪われた人たちの話だった。けれども、最初の私はどこか冷めた気持ちで、まるで自分とは関係のない出来事のように聞いていた。
そんな私の心を揺さぶったのは、一人の小学生だった。まだ低学年の子どもが、先生と一緒に作った歌を歌ったのだ。澄んだ声が会場に響きわたり、被爆者の想いと、平和への祈りがまっすぐ胸に届いた。気づけば涙が頬を伝っていた。つらい言葉を何度聞いても涙は出なかったのに、歌で涙がこぼれたことに、自分でも驚いた。
二日目の午前中、私はバスで市内の被爆跡を5ヵ所巡った。焦げ跡が残る建物、熱風でねじ曲がった鉄。そこで、ある写真を見せられた。原爆投下からわずか2~3時間後、避難している人々の姿。
三日目、広場には多くの人が集まり、「核兵器廃絶」の声が響きわたる。私は強く思った。原爆は絶対に許されない。あんな悲惨な目にあった日本人こそ、世界に向けて「二度と繰り返すな」と叫び続けなければならない。
私はもう年を重ねたが、若い人たちがこの想いを背負い、未来へと歩んでくれることが、何よりの希望だと感じた。
この三日間は、私の心に深い傷と、そして強い願いを刻み込んだ。二度と同じ悲劇を繰り返さないために、この想いを忘れず、伝え続けていきたい。

憲法9条を守り/被害国であり加害国忘れず

【宮津・宇野さん】
今回はじめて参加した理由に近年日本は、人口減少、高齢化がすすんでいる中で、年間防衛費が社会保障費等にくらべて上がっていること。日本は三権分立の国なのに、一部の政治家への忖度によって、少しずつ歪められているのではないかと思っていたからです。
被爆80年・広島のつどいの中で、小学5年生の女の子が読んだ詩を歌にした「わたしのねがい」を聞いたときに、何ともいえない感情になり涙が出てしまいました。その歌は2年前、被爆者の生の証言を聞く学習をしたときに、作ったものに曲をつけたものです。
また、京都原水協のオリジナルツアーでは、被爆した人たちが、南へ向かって逃げている場面や、原爆投下3時間後に倒れている人を撮影した悲惨な写真が掲示されていました。
日本は、唯一戦争で原爆投下された被害国であり、原因を作った加害国でもあります。そのことを忘れないためにも、憲法9条を守り、核兵器禁止条約に署名・批准をしなければいけないと改めて思いました。

【建築ニュース1273号(2025年9月15日付)】

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