2025年11月5日

戦後、職人に法外な事業税がかけられ、自殺者を出すほどの大変な重税とのたたかいの中で京建労の前身「全京都自由労働組合大工支部」が1950年7月に設立されました。
(連載第1回参照)
結成まもない京建労には、重税反対の運動の中で、組合に対する信頼が広がり現場の仲間たちが組合に結集。納税義務のない日雇職人への事業税に断固反対する組合の姿が共感を広げて一気に組合員が増加。組織拡大の観点からも大きな貢献を果たした最初のたたかいは「権力徴税反対の組合である」ことでした。
「職人に事業所得はない」と各府税事務所に異議申し立てを行いますが、「職人は道具を持っているから」を理由に家財道具を差し押さえするなど、問答無用の課税・徴収されていました。
創立から半年後となる1951年1月23日に西院の春日神社で開いた第1回支部大会(全京都自由労働組合大工支部)で確認された運動方針の冒頭は「全日土建と歩調を合わせ、生活費に税金をかけるな、大衆増税反対の運動」で始まります。当時の税金闘争は、1955年に国税庁の通達を出させ、事業税の課税に歯止めをかけて、事業主控除を大幅に引き上げさせました。
このように「重税反対」は創立以来の要求であり、申告納税制度、納税者の権利を守るたたかいが建設労働者にとって重要な運動として継承されています。
大型間接税・消費税反対のたたかいは、1987年2月に中曽根内閣が「売上税法案」「マル優廃止法案」を国会に提出したことで激しく高揚。1986年衆参同日選挙で中曽根首相は「大型間接税はやらない」と公言しており、ウソをついての法案提出に広範な国民の怒りが高まります。
売上税反対の大規模集会が各地で開かれ、国民的反対の意思を示し、その後の統一地方選挙で自民党が大敗北、日本共産党が大躍進。4月23日に売上税の国会通過を断念させました。
その導入反対の団体・個人が結集し「大型間接税・マル優廃止反対各界連絡会」がつくられ京建労も参加します。これが現在の「消費税廃止各界連絡会」です。

1988年4月17日に開かれた「新大型間接税反対4・17国民大集会」には12万人が集まり、京建労からも152人の代表を送りました。
大平正芳首相が「一般消費税」(税率5%)の導入を掲げた1979年の衆議院選挙で自民党は過半数割れ。先に述べた中曽根内閣の「売上税法案」も、国民の声を示したのちの選挙結果で断念させています。しかし、1989年4月に導入された消費税は、前年の160日間の臨時国会で自民党が強行採決した竹下内閣による導入でした(税率3%)。以降、1994年2月細川内閣が「国民福祉税」導入を表明するも白紙撤回。同年11月村山内閣が消費税5%引き上げを決定。1997年橋本内閣によって5%に引き上げ。2012年野田内閣の「社会保障・税一体改革法案」に民主・自民・公明が3党合意。安倍内閣によって8%、10%に引き上げられました。
しかし、増税と社会保障削減が同時にすすめられ、格差と貧困は広がり、もはや、導入以来の「消費税は福祉のため」という口実は完全に破たんし、消費税収は大企業・富裕層減税の穴埋めに使われてきたことは明白になっています。
京建労の活動は、重税反対とともに、申告納税制度に基づく納税者の権利を守り、税制と税務行政の民主化を求める運動へと発展しています。
自主計算・自主記帳の学習を基礎に、仲間の営業とくらしを守る税金対策活動をすすめてきました。
一方で、1963年の国税通則法制定以降、記帳の義務化、消費税創設、マイナンバー実施、インボイス導入と、申告納税制度の形骸化と、国民や零細業者に対する徴税攻勢は強められる一方。これらについてもその都度、学習しながら「納税者の権利を守るたたかい」をすすめてきました。
国税通則法制定反対のたたかいから、1963年3月に民商などとともに地域単位で実行委員会を作って、統一集団申告が始まりました。この行動は毎年、「3・13重税反対全国統一行動」としてとりくまれ、今日まで続けられています。
京建労は「消費税は逆進性の強い最悪の不公平税制」として、一貫して制度そのものに反対・廃止を求めて、時々の増税策動の際には、増税阻止のたたかいに全力を挙げています。
【建築ニュース1277号(2025年11月15日付)】