2026年1月3日
設立から75年を迎えた2025年度の本紙新年号。古い仲間の写真と現代の皆さんの写真を交えて確認し合うことで、私たちの組合に継承されてきた、たたかう伝統と、新たな時代に変化していくべき課題についてのヒントを共有しましょう。18人の大工がつくった組合は、日雇健康保険擬制適用事業所の承認を受ける活動と、やっとの思いで手に入れえた「職人と家族の命綱」日雇健康保険擬制適用の廃止とのたたかい。そして、建築国保組合の設立へと大きく力を合わせた文字通り「社会保障の京建労」。現場要求と同時に、税金闘争の場面でも、メーデーでも、定期大会でも、あらゆる活動の写真に残るのは「平和」のメッセージを掲げる仲間の姿。

上写真は1968年5月1日の第39回全京都統一メーデーでの京建労の仲間たち。デモ隊列の先頭で扇子を広げて先導するのは山口俊一さん。1959年に創設された厚生部(文化厚生部)の初代部長で、1967年に創設された社会保障対策部の初代部長

2025年5月のメーデーより。二条城前広場での「労働者の祭典」から京都市役所前までデモ行進した仲間たちが、ジグザグ行進といわれるアピール行動でしめくくり。ピースフラッグがはためくようすは、受け継がれてきた活動を感じさせる。

1959年5月1日全京都統一メーデー。御輿のデコレーションに「核武装反対」と
【左京・松田さん】
京建労で役員をやったのがいつからなのかも覚えていませんが、組合に入った頃は、山科支部と分割する前の東山支部で、「円山で集会やぞ」なんて声をかけられて、参加するようになりましたね。
人見明さん(1970年青年部長)に誘われて青年部に入ったのはよく覚えています。
本部に行くようになって、学習協(労働者教育協会)で学んだことも大きなことだったと思います。しかし、そのことも活動してきた要因の一側面に過ぎませんよ。
やはり、組合で、青年部で出会った仲間たちがいて、青年時代も他団体も含めた労働組合の仲間たちができて、地域での活動でもさまざまな人たちと一緒に運動を続けてきただけのことです。気が付けば「現在に至る」(笑)という感じですよ。
松田真造さんは1977年度から1981年度にかけて本部青年部長。1990年度から1997年度まで教宣部長などを歴任。

1976年9月7日に開かれた「ロッキード汚職追及緊急集会」。右手前が松田さん。この集会の翌年から本部青年部長となる。
【建築ニュース1280号(2026年1月1日・15日付合併号)】