第49回住宅デー 6月14日(日)
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原水爆禁止世界大会に仲間の代表24人が参加/81年目の広島で核兵器の実相を受け継いで

2026年9月2日

被爆81年目の広島で、「原水爆禁止2026年世界大会」が開催され、8月4日~6日にかけて京建労代表24人が「ヒロシマデー集会」や分科会などに参加しました。
「原水爆禁止世界大会・国際会議宣言」では、「ヒロシマ・ナガサキの被爆の体験と実相を受け継ぎ、広げることを運動の中心にすえて、核兵器廃絶を共通課題とする行動を世界各地で多様にくりひろげよう」などと訴えて、環境と気候危機、貧困と格差、差別と排外主義、人権と民主主義などの課題にとりくむ運動との連帯・共同をよびかけました。
また、全建総連と広島建労の共催で「原爆犠牲建設労働者・職人之碑」前で行われた「第38回慰霊祭」は8月5日に開催され代表が参加して各地から寄せられた「名水」を献納しました。なお、京建労代表団団長として山中副委員長が参加しました。


核で平和は守れない/立ち尽くし涙止まらなかった

【本部・山中敏行団長】
(京建労副委員長)
原水爆禁止世界大会は4回目の参加ですが、今回初めて広島に団長として参加させていただき、世界で初めて被爆した広島を実際に見て、本当に戦争は、核兵器は、一瞬で人・動植物・建物を奪い、日常・平和が守れないのだと痛感しました。
被爆者が年々少なくなる中で語り続けられることや継承していかなければならないことが、本当に大切だと思います。
2日目は「原爆犠牲建設労働者・職人之碑」前で行われた第38回慰霊祭で献花・献水し、職人のつどいでは広島建労から報告があり、平和という土台があるから生き続けられる。
また全国青協からは、我々が扱う道具は人を傷付けるのではなく建物を築くためにあるとの力強い訴えがありました。
原爆ドーム・資料館・爆心地を見学し、現物・写真・映像・展示品はどれも悲惨な状況で、その場に立ち尽くし、涙が止まりませんでした。被爆して懸命に生きようとしてた方、言葉を発っせられない方、痛みに耐え治療もできない方が、原爆の威力だけを伝える「きのこ雲」の下におられたことを、全世界の人々が知るべきだと強く思いました。


戦争の島にされた似島/高市首相も同じ宿舎でした

【主婦・女性の会岡田さん】
若い人の参加が多く、力強く思いました。オンラインを含め4106人。音楽での表現は、すごく心にしみジーンときました。
核兵器禁止条約の加盟国はトンガが加わり署名国と合わせ100ヵ国になったようです(高市首相は私たちと同じホテルに宿泊)。
分科会で「似島少年少女のつどい」に参加できました。もともとは漁業・農業が中心で静かな島だったのですが、1894年に始まった日清戦争以来、戦争の島にされてしまいました。
広島に原爆が投下された後、この島に被爆者が押し寄せました。被爆者1万人あまりを収容した似島で、衛生隊の隊長として収容者の治療にあたった、軍医の西村幸之助さんは、医薬品が底をつくなか懸命の活動を続けました。4日目の朝で5000人分の薬がなくなりました。まだ、150人の手術をしなければならないのに縫合する糸もない。手術をしなければ全員死亡です。運ばれてきた人は、服は焼けほとんど裸でひどい火傷をしていて爆風で飛び散ったガラスの破片が全身に突き刺さっていました。軽い人も放射能のせいで3~4日で死亡されました。
戦争の悲惨さと、平和の尊さを知り、これからもしっかり、運動を継続しようと思います。みなさんご協力お願いします(高市さん! やめてください)。


愛と許し合い広げて/「広島」貴重な経験になりました

【宇治支部 石川書記】
原水爆禁止世界大会に参加し、被爆者の方の生の声を聴くことが年々難しくなる中、広島でおこった出来事や体験を学べたことは、貴重な経験になりました。
2日目は平和資料館を見学し、分科会「原爆遺跡めぐり・旧日本軍被服支廠」に参加しました。平和資料館では、親を心配させまいと気丈に振る舞う子ども、被爆後の苦しみから精神的に追い詰められ家庭が崩壊した人々の姿を知り、将来への希望に満ちていた多くの命が、一発の原爆によって奪われた現実に胸が締め付けられました。
4歳で被爆された方の講話を聴きました。戦後も後遺症や生活に苦しみ過酷な人生を歩まれたこと、当初はアメリカへの憎しみを抱いていたものの、資料館で涙を流すアメリカ兵の姿を見て、「憎しみからは平和は生まれない」と考えるようになったというお話が特に印象に残りました。平和を実現するためにも、核抑止論だけに頼らず、互いを思いやり、愛と許し合いの心を広げていくことが大切だと強く感じました。


国民は戦争願ってない/被爆者のお話もう機会が少ない

【山科・秋間さん】
今回が2回目の参加となります。3年前は長崎に参加させていただいたのですが、台風で日程が変更となり9日の当日に長崎にいることは叶いませんでした。でも今回は無事3日間良いお天気のもと参加することができました。
資料館も2日目に空いた時間で行くことができました。ボロボロになった学生服、展示の写真など考えさせられるものばかりなのは変わっていなかったです。
実際に原爆が落ちたときも約22万人が熱線や放射線をあびてお亡くなりになられましたが、そのうち約6300人の子どもが亡くなられたと聞き、そんなにも多くの子ども、学生が犠牲になったのだと知りました。
また、日本人だけではなく当時日本におられた海外の方も被ばくされていたことも初めて知りました。
そもそも戦争はしてはいけないことだし、一部の商人と政府だけが満足することであり、国民の多くは戦争を願っていないと私は思います。
被爆者のお話を聞けるのはもう残り少ない機会しか残っていません。あとから聞きたかったと後悔しても遅いことがあるかもしれません。


政治家任せで平和ない/京建労の平和活動は意義深い

【右京支部・林さん】
広島で普通にくらしていた人々の人生が、一発の原子爆弾によって一瞬にして奪われました。家族を失い、住む場所を失い、そして自らも大きな傷を負いながら、その後何十年にもわたって苦しみ続けた人たちがいます。その被害は、爆発の瞬間だけで終わったものではありません。
平和は、政治家だけに任せておけば実現するものではありません。私たち一人ひとりが「戦争は嫌だ」「核兵器はいらない」と声を上げることが大切です。
労働組合の活動というと、賃金や労働条件の改善を思い浮かべる人も多いと思います。しかし、働く人の生活と命を守ることと、戦争や核兵器の問題は決して別のものではありません。戦争になれば、真っ先に犠牲になるのは私たち普通にくらす市民であり、働く人たちです。家族のくらしも、仕事も、地域も、すべてが壊されます。
労働者の組合である京建労が、平和や核兵器廃絶を求める運動にとりくむことには大きな意味があるのだと思います。私も一人の組合員として、核兵器のない平和な世界をめざす運動にこれからも参加していきたいと思います。

【建築ニュース1294号(2026年9月15日付)】

 

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