2024年9月3日
「被爆者とともに、核兵器のない平和で公正な世界を~人類と地球の未来のために」をテーマに「原水爆禁止2024年世界大会」が開催され、8月4日~6日にかけて京建労代表団32人が「ヒロシマデー集会」などに参加しました。
「原水爆禁止世界大会・国際会議宣言」では、「戦争と核破局か、平和・安全と非核かー世界の進路を決するのは、主権者である私たちである。被爆者とともに、そして若い世代とともに、声と行動を広げよう」と訴えて、「2025年の被爆80年にむけて核兵器廃絶を求める壮大な運動を展開しよう」とよびかけました。
また、全建総連と広島建労の共催で「原爆犠牲建設労働者・職人之碑」前で行われた「第36回慰霊祭」は8月5日に開催され代表が参加して「名水」と「折り鶴」を献納しました。なお、京建労代表団団長として秋間副委員長が参加。代表団とは別に、全建総連副委員長として京建労の平山委員長が参加しました。
10年ぶりの原水爆禁止世界大会・広島大会、10年前と同じく若い人たちの核廃絶に対する熱い気持ちを感じることができました。
開会総会での被爆者のあいさつで、長崎の田中熙巳さんがリモートで発言されました。
私は2023年の長崎大会にも参加しましたが、その際の分科会でも発言されていた時の田中さんのごようすと違い、言葉に詰まられたり考えられる間があり、一年で田中さんのごようすに大きな変化がある姿に少々ショックを受けました。
田中さんは92歳というご高齢なのでしかたなく思いましたが、被爆者として体験談を語る方が減っていくことを感じずにはいられませんでした。これから自分たちが後世につなげていくという気持ちを強くしました。
最終日の帰りのバスで参加者に感想を聞いたのですが、原水爆禁止世界大会に参加して、現場(被災地)で感じることにより、考え方が変わった方が大勢いたので、これからもたくさんの人たちに原水爆禁止世界大会に参加していただきたいとの思いを強くしました。
【秋間副執行委員長・代表団団長】
私は今回初めて原水爆禁止世界大会に参加しました。
原爆ドームへ足を運ぶことも生まれて初めての体験でした。
3日間の中でたくさんの方の話を聞き、考える機会をいただきありがとうございました。
3日間を通して、心に残ったのは被爆された方の被爆状況、敗戦後の状況です。
中でも、御家族が被爆をされた話がとても生々しく、想像の範囲の中ですら辛く悲しい気持ちになるものでした。原爆が広島、長崎に落とされ何十年経っても、被爆された方が被爆後の人生を生きてこられた事実はなくなることはありません。
僕らはその人生を見ることも、生きることもできませんが、聞き、考え、伝えていくことはできると思います。
一度想像してみましょう。原爆が投下された日の朝、爆心地の近くで外に出ていた人たちの中に、自分の子どもがいたとしたら…。
この想像一つで原爆、戦争に反対するには十分な理由になるのではないでしょうか?
唯一の被爆国であると同時に、今なお、世界の中では戦争がおこっている状況を目の当たりにしている日本が、これ以上間違った方向へと退歩しないために活動することが大切だと感じました。
【舞鶴・霜尾さん】
一昨年に続き原水爆禁止世界大会に参加させていただきました。今回は小学校6年生の息子と二人で広島に行かせていただいたのですが、原爆ドーム・資料館とまわる中で、息子の方が原爆の知識があり驚きました。
亀岡市の子どもたちは修学旅行に広島に行くそうなのですが、学校でも原爆についてしっかり勉強するのだなと感心する気持ちと、大人として戦争についての理解の乏しさに恥ずかしい感情とで『しっかり勉強せねば』と、感じました。
来年で被爆80年、戦争経験者がどんどん減っていき、戦争をリアルに理解できない世の中へと変わってきました。
世界では、ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ問題、ニュースでは毎日のように報道されますがテレビの世界ではどこか他人事に感じています。しかし、日本でもたった80年前、祖父母世代には現実におきていたこと。
武器や兵器は今と違えど、血と涙を流す戦争はどこかで絶えずおこり続けている。そんな世界はそろそろ終わりにしたい。今回の広島でも痛感しました。
今回、原爆資料館に行った際に半分以上の来場者が外国人の方だったと思いました。
広島や長崎、日本だけでなく世界中を巻き込んで、核・戦争をなくしていく運動を広げていきたいと思いました。
【青年部・酒井さん】
【建築ニュース1252号(2024年9月15日付)】