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踏まれるほどに根を強く【第5回】/「地方自治の灯台」と京建労

2025年7月3日

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私たちの要求を受けて、民主的な政治をすすめていた蜷川京都府政(1950‐1978)は、全国初の中小企業小口融資制度や、全国に先駆ける無担保・無保証人制度などの中小企業支援や、都道府県段階で初であった65歳のお年寄りの医療費助成制度、「十五の春は泣かせない」の名文句で知られた高校増設などの福祉・教育の充実を実現させました。
京建労の組合員・家族も蜷川府政誕生から1960年代後半、70年代の革新統一戦線のめざましい前進を実現させた時代(1967年美濃部亮吉東京都知事当選、1971年黒田了一大阪府知事当選)に、住民自治の前進のために大いに奮闘しました。
当時の京都府知事選挙で京建労は、社・共をふくむ23の団体が結集する「明るい民主府政をすすめる会」に参加して宣伝戦、組織戦に全力をあげました。
蜷川民主府政の成果は、京都府庁の正面に掲げられた「憲法を暮らしに生かそう」という垂れ幕(写真上参照)に象徴され、なによりも府民のくらしを守るという立場を貫きました。蜷川民主府政は府民と一体となってすすめた京建労の要求運動に対しても、京都府住宅改良融資、マル小融資などの例に見られるように積極的にこたえて、教育・農業・中小企業の分野で輝かしい実績をあげました。
もう一つの特徴として、生活破壊の国政と対決したという点があげられます。日雇健保改悪反対、建設業法改悪反対の私たちのたたかいに対しても、国の悪政と対決し、激励してくれました。同時に蜷川民主府政は、府民の自治意識の前進と民主的組織=団結の強化を常に重視してきました。
また、1967年(昭和42年)4月の一斉地方選挙で浅田源三郎・京建労委員長が京都府議会議員(日本共産党)に当選。蜷川府政のもとで、3期12年間、建設労働者・職人の要求実現に大きな力を発揮しました。
1978年、蜷川知事の退陣表明を受けて、当時の商業新聞の社説でさえ「地方自治の灯台であった」とのべました。

【建築ニュース1270号(2025年7月15日付)】

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