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板金の折り鶴が紡ぐ 被爆者の思い/今こそ核兵器禁止条約に批准の時

2025年1月3日

 2024年10月11日、ノーベル委員会はノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与することを発表し、世界中が大きく湧きました。被爆の実相を世界に広げるとともに、核兵器の持つ非人道性を明らかにし、核兵器禁止条約への大きなうねりを作り出してきた活動が認められたものです。
 そしてここ京都にも被爆者として、そして平和の語り部として、被爆の実相を伝えながら世界を平和に導く女性がいます。彼女が語る「板金の折り鶴」に込められた平和への願い、核なき世界につながるストーリーをうかがいました。


 「私はこの板金でつくられた折り鶴に『あなたは広島に行きなさい』、そう言われているような気がしたの」。そう振り返るのは京都市在住で79年前の8月6日、広島に投下された原子爆弾で被爆した花垣ルミさん(84歳)です。
花垣さんは5歳の時、広島市の三篠本町という爆心地から約1・7㎞の親戚の家で被爆しました。
「8月6日の朝は部屋で一人で遊んでいました。奥の部屋には病気の祖母が寝ていて、母は生後10ヵ月の弟をおぶって外で洗濯をしていました。急に地面が持ち上がるような衝撃を感じ、爆風と後ろから家具が飛んできたことで、私の体はタンスと窓に挟まれ、竹の楔が頭に刺さりました」と花垣さんは原爆投下の瞬間に自身におきたできごとを生々しく語ります。
続けて「母や弟、祖母、叔母などと近所の竹やぶに逃げ込んだのですが、竜巻のように舞い上がる炎と熱波によって焼けた竹が『ポカンッ、ポカンッ』と音を鳴らしながらはじけ出し、火の勢いが強まったので近くの山手に避難しました。道中、黒い塊となった遺体が覆いかぶさった光景を見ました」と当時の惨状を丁寧に話してくれました。

焼け焦げた大小の遺体/5歳の少女の瞳が見たもの

花垣ルミさん
1940年3月に大阪で生まれ、大都市空襲を避けるため広島へ。1945年8月6日に広島で被爆。現在は京都市に在住し、「被爆者の体験を聞く会」などで語り部活動を行う

「近くの山に避難し、いつの間にか眠ってしまった私は、異様な臭いが気になり目を覚ましました。私の目の前で木片と一緒に大小の黒く焼け焦げた遺体が野焼きのように焼かれていたのです。母が『ルミちゃん、見ちゃダメ』と抱きしめた瞬間から、被爆直後の記憶は途絶え、58年後までその記憶が戻ることはありませんでした」。大量破壊を行う核兵器の非道さを、5歳の少女の瞳を通して花垣さんは語ってくれました。
その後、奈良や横浜でのくらしを経て、居を京都に移した花垣さんは2003年、63歳の時に「広島被爆者慰霊式典」への参加を誘われます。
前年、広島県で折り鶴放火事件が発生。板金工の仲間が「燃えにくい折り鶴」として銅板でつくった折り鶴を被爆地に届ける活動をすすめていました。ご近所で懇意にしていた京建労元委員長の故・古川市郎さん(板金工)が事業主をつとめる事業所から、手に乗るほどの「板金の折り鶴」を託された花垣さん。折り鶴に背中を押され、慰霊式典への参加を決めたそうです。

悲劇は今なお続いている/平和への願い胸にオスロへ

参加を機にさまざまな体験を通して、徐々に被爆直後の悲しい体験や傷む大人たちの姿が思い出されてきた花垣さん。現在では被爆者としての体験を語るなど、核廃絶への活動を積極的に行っています。
「被爆の実相というのは、被爆者本人だけではなく、その家族にも悲しみとしてつながっていく」と、自身や家族が抱えた悲しみについても話してくれました。
私生活では3人のお子さんがいる花垣さんは、長女の嫁ぎ先でのできごとについて、「私の孫が風邪など病気をすると長女に対し『ルミさんが被爆者だからかな』という言葉をかけられたこともある」とし、「言葉によって被爆者と2世3世が受ける辛い体験があるのです」と語ります。
またお孫さんが骨肉腫(骨のがん)にり患した際は、花垣さん自身も被爆との関連を感じ、「私のせいかもしれない」と日夜涙にくれたそうです。お孫さんの病気は被爆との関連性はなく、病気は根治したものの、「被爆者には被爆したことへの悲しみはずっと続くのです」と79年前の大量破壊兵器が生んだ悲劇が、今なお続いていることを強く訴えます。
 花垣さんは12月にノルウェー・オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式に、被爆者として参加。花垣さんはあらためて世界平和への願いを込めて、オスロのノーベル平和センターに自身の平和活動のルーツでもある「板金の折り鶴」を献納しました。
あらためて核なき世界の実現について花垣さんは「2017年に『ICAN』が核兵器禁止条約締結を達成し、ノーベル平和賞を受賞しました。そして日本被団協が『核兵器は二度と使われてはいけない』と当事者として証言を続けています。あらためて被爆国・日本が核兵器禁止条約に批准することが何よりも重要です。それを実現させるためにも草の根の力で、世論を押し上げなければなりません。ウクライナやパレスチナでは小さな子どもが戦争被害者として泣いています。世界に平和が訪れるように私も皆さんと一緒に並走しながらこれからも頑張ります」と笑顔で話してくれました。

【建築ニュース1259号(2025年1月1日・15日付)】

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