2021年7月16日
「お父さんおかえり!」と駆け寄る幼き日の私、ゆうに40年以上前のこと。現場から帰宅した父が言う「ちょっと待ってや。今日はチクチクやしな」。父の言う「チクチク」、そのどこかひょうきんな響きからも、命にかかわる恐ろしいものだとは思いもしなかった。これが「静かな時限爆弾アスベスト」であり、当時のリアル▼「チクチク」と呑気によんでいる間に、「チックタック」と時限爆弾の針はすすんでいた。建設労働者がその危険性を知らされないまま、ばく露しているようすを横目に、危険性を知りながら積極的に使わせた国と企業の責任が確定した。しかし、建設アスベスト裁判の司法判断は、2012年5月原告全面敗訴で始まった▼京都原告団の結団式、田辺委員長の「すべての建設労働者はアスベスト被害の予備軍。代表として立ち上がった原告の勇気に敬意を表したい」の言葉で始まった。原告団長を務められた故・寺前団長は「私らで最後にしてほしい」と訴えた▼未だ責任に背を向ける企業、一度アスベストを素手で触ってごらんなさい。いつまで経ってもチクチクする。それが肺に刺さっていると想像すれば分かる。せめて、被害者と家族に刺さったままの、心の棘だけでも抜いてくれないか。(巧)
【建築ニュース1187号(2021年8月1日付)】