

2018年2月8日
このコラムを読まれている時には4年に1度の冬季オリンピックが韓国平昌で開催されている頃か。私の一番の思い出の冬季五輪は、1972年札幌五輪、当時中学2年生。テレビで見てアイスホッケーの真似をし、スティックは竹を曲げてパックはプラ容器のふた▼古里は降雪10センチ位でスキーは無理。傾斜地で、丸木の下に竹を打ち付け、板の台を付けたソリで遊んだ。時速30キロ位は出るが、ブレーキやハンドリングは両足だけが頼りだった。スケートは靴が無いので、氷の張った水溜まりで普通の靴で滑って遊んだ▼10歳で初めてスケートリンクに行ってシューズを履き、ローカを歩くだけで足がグラグラ。リンクの中ではテスリを磨くだけで、中央へ行っても尻餅を突くだけだった▼五輪選手は3歳位には練習を始めているという。スケートのスピンや、スキーの滑降・ジャンプ・大回転などは凄いものだ。昔は無かったスノーボードのハーフパイプ競技など、10代の活躍でメダルが期待できそう▼北朝鮮が五輪への参加を申し込み、韓国側もこれを受け入れることとなった。スポーツを通じて同じ民族が仲良くなり、東アジアの脅威がなくなればよいのだが、さてその胸の内は…。(熊)
【建築ニュース1116号(2018年2月1日・15日付合併号)】