中京支部の中村孝志さん(82・大工)は、岡山県の津山市出身。敗戦色が濃くなってきた昭和20年夏、19歳の時に広島県南部の大竹海兵団に入隊。通信兵となりました。
「私は、外地にも行かず、訓練ばかりで終戦を迎えましたが、目のあたりにする光景は地獄そのものだった」と中村さん。
行軍の朝 原爆投下 / 光球 黒雲 黒い雨
大竹の部隊本部から、広島市の北東部への行軍訓練は、8月5日から夜通し行われました。
翌6日あさ、部隊の仲間が「おーい、来てみぃ、えらいことになっとるぞ」と指さす先に、原爆が光球からキノコ雲が立ち上るようすが見えました。
中村さんは「ちょうどキノコが傘を開く直前の形状で、巨大な黒雲が伸びていた。当時の情報では、アメリカの新型爆弾としかわからず、恐怖しました。それから3日間は、黒い雨が降り続きました」と話します。
瓦礫の中を丸裸で逃げ惑う市民、同年代の仲間の死、貧困と欠乏、自由のない暗い社会など、あらゆる出来事が、中村さんの青年時代を彩ってきました。
中村さんは「なんで、こんな時代になったんやろう」と考えるほどに涙が出る毎日でした。
暗唱難しい 教育勅語 / 戦前教育 子ども心に疑問
「昔は、みんな、ヘンだったよね」と話すのは、奥さんの保枝さん。戦前の少女時代を国民学校で過ごした彼女は「真珠湾攻撃って、戦争の約束違反じゃないの」と疑問に思い、大人に聞いたら「しーっ」と制止されています。
ほかにも「軍人勅諭や『朕思フニ、我ガ皇祖皇宗...』ではじまる教育勅語の暗唱ができずに苦労した。子どもに覚えろってこと自体、どうかしている。教育ってほんとうに怖いですよね。もうあんな時代にしたくないですね」と話しています。
