広島に原爆が投下された1945年(昭和20)8月6日~8日は、広島市内の日刊新聞が発行不能でしたが、被害を目撃した「中国新聞」(本社・広島市)の記者・カメラマンら3人が、新聞休刊日の被爆当日・直後の広島のようすを後世に伝えようと、戦後(1980年8月6日)、手書き新聞を発行しました。

この写真は、京建労教宣部が保管している現物で、歴史の真実を記録するジャーナリストの良心を示す貴重な史料です。
「中国新聞」記者の大佐古一郎さん、同社カメラマンの松重美人さんは、自分自身も被爆者になりながらも、原爆告発の報道を続けました。
真実隠す 言論統制
同盟通信広島支社編集長の中村敦さんも、『廣島全滅、死者十七万』の第一報を本社に配信しましたが、大本営によって、このニュースは握りつぶされました(いずれも肩書は当時)。
トップ記事の『軍 潰滅す。中国軍管区司令部、機能麻痺』の見出しは、軍政下の日本では許されませんでした。