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いずれも(京都地裁101号大法廷)
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たんぽぽの会

石綿肺 無念のうちに旅立った夫/妻が2陣提訴に立つ

2016年10月 5日(水)
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 国と企業の責任を認めさせ、画期的な勝利判決が京都地裁にて出された関西建設アスベスト京都訴訟。その2陣となる訴訟が19人の原告(被害者単位で16人)で提訴の準備がすすんでいます。2陣提訴の原告団共同代表となった遺族に話をうかがいました。

「かっちゃん、みんなが支えてくれるよ」
 「夫は笑うと白い歯が印象的で、いつも洒落っ気たっぷりな人だったんですよ」と話すのは故・北村勝彦さん(左官・享年69歳)の妻・せつ子さんです。
 勝彦さんは2014年10月6日、アスベストが原因の石綿肺で亡くなりました。60歳で罹患し約9年にもおよぶ闘病生活、7度の入退院を繰り返し、命を奪われました。
 生前、酸素ボンベを使わなければ呼吸ができない不自由さに、怒りと悔しさをたびたび口にしていた勝彦さん。闘病中、組合のすすめで専門医師による再診断を受けることにし、そこで出された病名が「石綿肺」でした。
 「『呼吸ができない』という苦しみの原因がアスベストであると知ったときから、夫は原告としてたたかう決意でいました。その怒りや悲しみ、無念さを一番近くで私は見てきましたから」と話すせつ子さん。2陣提訴の原告として勝彦さんの遺志を継ぎ法廷に立ちます。
呼吸困難、ボンベ背負い現場へ向かう
仲間たちから「かっちゃん」の愛称でよばれていた勝彦さん。所属していた右京支部では分会を軸に地域の活動の中心的人物として長年活躍してきました。「とにかく仲間が大好きで、みんなと仲良くなる方法をいつも考えていた人でした」とせつ子さんは生前の勝彦さんを振り返ります。
 勝彦さんは中学卒業後に左官の道に入ります。厳しい修行に耐え、名うての左官職人としてさまざまな現場を経験していきます。
 そんな勝彦さんを病魔が襲います。2005年の年末、仕事を終えて帰るなり呼吸困難で上がり框に倒れこみ、救急搬送されました。その時のようすをせつ子さんは「口を大きく開け、体全体で息を吸おうとしている状態。いつもと違う夫に孫が怯えていたほどです」と話します。
 最初の診断は「間質性肺炎」でした。それでも勝彦さんは呼吸が苦しい中で大好きな左官仕事を続け、酸素ボンベをかばんに入れ、マスクでチューブを隠しながら作業を続けたそうです。
 専門医から「石綿肺」の診断を受けたあと、2度の労災申請を行いましたが監督署から「不支給」の通知が届きます。しかし勝彦さんは気丈に「ワシは奇跡の男やで。死なへん」と家族を励ましていたそうです。

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「ワシには仲間がいっぱいいるんやで」
せつ子さんは「夫が気丈に振舞っていた心の底には、国や企業による理不尽なアスベスト災害への怒りがあったのだと思います。1陣のみなさんがたたかっているようすを裁判所で見つめ勇気をもらい、そして国や企業への怒りをたぎらせていました。自分も原告としてたたかいたいという思いがあったんだと思います」と勝彦さんの胸のうちについて語りました。
 しかし疾患が労働災害と認められたのは、勝彦さんの死後のことでした。
 約9年にもおよぶ闘病生活をともに歩んできたせつ子さん。2陣原告へのよびかけに「かっちゃんなら絶対たたかう」と原告になることを決めました。「生前、夫の口癖は『ワシには仲間がいっぱいいるんやで、振り向いたら絶対誰かがいるんや』でした。夫の言葉を胸に、無念を晴らしてあげたい」とせつ子さんは提訴への思いを話しました。 
【建築ニュース1089号(2016年10月15日付)】
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