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お父さんの「カウントダウン日記」/石綿裁判4次訴訟へ 被害者遺族がたつ

2013年7月16日(火)
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 生前は自動ドアの取り付け、メンテナンスで21年くらい天井裏などに入ったりもしていたという岩崎さんん(享年72歳)。
 短時間で終わる仕事なら「車で待っているように」と言われ、現場について行ったこともあるという奥さんは「仕事が本当に大好きで、マジックみたいに手が早かった。お父さんは『自動ドアが持てへんようになったら辞めるときや』と言っていたけれど、人の命ってあっけない。まだ死を受け入れられない」と言います。
 
 長女は「病気が分かってから、父に『何かあったら読め』と手紙を渡されていました。その手紙を手にしてから2~3ヵ月読むことができず、容体が急変して開くとそこには『俺は死ぬんじゃない。旅に出るんや』という言葉と一緒に、フローチャートのように、自分の最期が『病院の場合』『自宅の場合』とそれぞれの指示がありました。葬儀まで自分で手配を済ませてありました」と話します。
 娘さんにあてた手紙の他に、会社の人あてにも自分の病気発症で会社や他の職人さんが仕事をやり辛くなっていないかと心配して手紙を出していました。
 そこには「みんなにマスクをしてほしい」と自身の身をもっての言葉がしたためられていました。


「自分もたたかいたい」と、苦しんだ父の遺志を継ぐ

 「2012年7月、下の娘が嫁いだのを機に近くの整形外科に行きました。そこでレントゲンを撮ると『肺が写ってない』と言われました。それまでからもう痛かったんだろうと思います」と八重子さん。
 病院を転々とし、2012年9月に京大病院を訪ねアスベストが原因だと分かりました。そしてその時点で余命2年との診断。
 翌年2月から、誰にも知らせず「700日カウントダウン日記」をつけ始めていました。日々の体調が記録され、体温・血圧、あさ・ひる・よる・寝る前に薬を飲んだチェックや、「気を失うような状態に」「きつい痛み3回」「布団から立ち上がれない」などその日その日のことが書かれていました。
 この間、3週間入院し、胸部に溜まった水を2日かけて抜く処置や、強い痛みに対しモルヒネを使うようになっていました。
 岩崎さんの記録は、700日のカウントダウン途中の2013年3月14日の666日で止まっています。この翌日診察に行った病院にそのまま入院。
 3月15日、16日と家族が付き添っていた際のことを振り返り「呼吸がままならなく悶絶し地獄の苦しみ。酸素を送り込むポンプが、ひしゃげて元に戻らないんです」と娘さんは表現します。吐き出せず看護師をよぶことを繰り返しました。「息ができない苦しみ...こわいね。肺がんって、アスべストって。私の夫も職人なので、マスクをつけてと頼んでいます」と話します。
 奥さんと長女は、原告としてたつ決意をしていた岩崎さんの遺志をついで4次提訴への参加に踏み切りました。
 長女さんは「今までは、ひとごとのように見ていました。お父ちゃんは元気な時に『自分もたたかいたい』と言っていました。よほどお父ちゃんは自分がなったのが苦しかったんだと思います。今後も発症するであろう被害者の救済制度を作るためにも、時には妹も一緒にこれからの裁判に参加していきます」と語りました。
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