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「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。

大報恩寺 本堂(千本釈迦堂)

1998年8月15日(土)
建築ニュース704号より転載

和洋古式の小屋組

16-1.jpg1954年(昭和29)の竣工直後の大報恩寺本堂(千本釈迦堂)。火災防止のための放水管のテスト風景(横井氏撮影)

 今出川通り千本の交差点から北西に、広く千本釈迦堂と称される巨大な古刹がある。正式には大報恩寺という真言宗智山派に属する寺院で、千本釈迦堂とはその本堂をさす。

16-2.jpg本堂の東脇には、斗きょうを手にした「お亀多福」の像と供養塔。本堂建立にまつわるお亀の伝説を説明した案内板があった。

 創立は鎌倉時代前期の1227年(貞應2)で、京都市内に現存する最古の建築物で、国宝に指定されている。歴史にもたびたび登場する名刹で、鎌倉末期の文人・兼好法師も随筆『徒然草』で「千本の釋迦念佛は文永の比、如輪上人、是をはじめられけり」と述べているほどである。

 本堂形式は、梁間六間、桁行五間の一重。入母屋造りの屋根は檜皮で葺いてあり南側正面中央に一間の向拝をつけている。柱はすべて檜の円柱で上下に長押頭貫をつけ、柱上の組物は和様の出組形式である。

 1953年(昭和28)から約1年間かかった半解体修理で、もっとも大がかりだったのは、小屋組みの全面的な復原と屋根瓦葺きを檜皮(ひわだ)葺きに改めることだった。

 修理前の小屋組みは、寛文年間(江戸時代前期)に北野経王堂の解体廃材を再利用したものだったが、これを建立当初の古式の小屋構法に戻すのだ。

 この構法は天井上に野物梁を用いず、天井桁の上に直接小屋束をたてるやり方で、したがって束も本柱上に配し、補強には挟み梁を筋交いのごとくに用いて釘打ちして組み固める。また妻飾りも扠首組み(さすぐみ)にて新調した。

 前述の寛文修理において屋根に瓦が積まれたのは、耐久性を増すことが目的だったと考えられる。修理では檜皮屋根師の宮川という親方が、16人の職人を従えて1年がかりで実に美しく葺きあげ復原した。

 檜皮は、ねばりや油分に富み、弾力性もあることから屋根材として重宝されてきた。仕上がりの見栄えはよいものの、いたみやすいのが欠点で、2~30年ごとに葺き替えていかなければならない。このときの修理で葺いた屋根も、もう次の葺き替え時期とあって、現在、本堂は巨大な簀屋根に覆われている。

技能者を養成し建築文化の伝承を

16-3.jpg工事中の屋根妻飾りの扠首組(左の人が横井氏)

 修理を要する文化財の件数に、檜皮の採取が追いつかないということになっているらしい。「修理はいつになるのか」とは、檜皮の建造物を有する神社・仏閣の共通の悩みとなっているらしい。また技術者不足は今も解消されてはいない。

 私(横井)は、3年前、京都府・文化財保護課の嘱託員(大工棟梁)を退職した。嘱託員制度ができた1972年(昭和47)当時には20人の嘱託員がいたが、退職するころには10人ほどになっていた。

 国宝・重文などの文化財修理は、国の責任で行なうことが基本だ。修理にたずさわるものの技術力を一定の水準以上に保つべきである。日本の建築文化を次代に残していくためにも、技能者の育成は、これからの重要な課題だと思う。

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