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「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。

大徳寺山内 聚光院本堂

1998年6月15日(月)
建築ニュース700号より転載

襖絵が映える檜床板

15-1.jpg東側から見た本堂付廊下は茶席(重文)に連なる。

 聚光院は、臨済宗大徳寺の塔頭のひとつで、三好義継という戦国武将が1556年(永禄9)に没した父・三好長慶を弔うため、宗訴(そうせき)禅師を開山として創立。のちに千利休が院の壇那となってからは、茶道三千家の菩提寺として今日まで存続している。今回は、1980年(昭和55)に保存修理を完了した本堂の工事について触れよう。

15-2.jpg東南に配された玄関も本堂と同様の桧皮葺。頭貫上の波連子が、唐様建築を特徴づける。

 聚光院本堂は、桁行七間半、梁間五間の一重入母屋造り。屋根は当初、桧皮で葺いてあったらしい。茶席と同様、1974年(昭和49)に重要文化財に指定された建築物。過去に幾度かの小修理を経過したことはあるが、軸組の傾斜、軒の垂れ下がり、基礎の不同沈下や屋根の破損も著しく、今回初の全面的な解体修理をすることになり、私もいさんで現場に出かけた。

 堂内中央には、一寸厚の桧板を槍鉋(やりがんな)で仕上げた床板が良好な保存状態で残されていたが、ところどころ表面の塗装(生漆塗り)が剥落していたため、すっかり塗り替える。

15-3.jpg考証を積み重ね、下部の彫刻も鮮やかに復原した正面折唐戸。

 大正4年の修理で積まれた屋根の桟瓦も、桧皮片の発見により、桧皮葺きに復元。棟飾りも室町期の建築を特徴づける「獅子口」になおす。修理後のゆるやかな屋根の線とあいまって均整のとれた外観が実現した。

 なお、桧皮の屋根の軒先は「一重軒付」とし、深い庇の先端を美しく見せる工夫をしてある。

 本堂内部には狩野松栄・永徳親子筆による立派な襖絵(国宝)が、また本堂前庭は「利休手植えの沙羅双樹」もある名勝庭園なのだが、残念ながら拝観は謝絶されている。私(細川)は前の住職と懇意で、最近まで自由に出入りもしていたが、その住職も静岡に寺を創建して転じられ、少し敷居が高くなってしまった。

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