創建にあたっては、徳川家康が当時の政治情勢を配慮して格別の財政的援助を行ったので、内部に漆工芸美術の粋をあつめた蒔絵が施されるなど、当代随一の立派な伽藍が完成したが、その後の火災で、多くの堂宇を失った。現在は開山堂と霊屋(おたまや)・傘亭・時雨亭(かさてい・しぐれてい。いずれも茶席)などが当初のまま残り、国の重要文化財に指定されている。
私(横井)は、1951年(昭和26)に開山堂の半解体修理を経験したことがあるが、1976年(同51)にも傘亭の修理をする機会を得た。傘亭は方丈からさらに山麓の道を登りつめたところにあり、南に延びる廊下で時雨亭と連なる。
庵内を見上げると、竹と丸木が放射状に組まれた屋根下地が、からかさを広げたような形状をしていることからこの名が付いたらしいが、正式には「安閑窟」(あんかんくつ)という茶席で、千利休の意匠だと伝えられる。
野鳥が巣作りで茅を引っこ抜く
古くなった屋根の茅を葺き替えることと、床下構造の防蟻処理、そして若干の壁の補修が主な仕事で、隣の時雨亭の柱の差し替えもあわせておこなった。
屋根の茅は、おおむね25年ほどでそっくり葺き替える。とくに北側の茅は日当たりも悪く腐りやすい。また、鳥が巣づくりのために茅を抜いていくため、相当いたんでいたのである。
古い茅を降ろすと、竹の横桟があらわれる。大原野に住む茅葺き職人の斉藤氏親子2人が、これに縄を引っかけ、慣れた手つきで次つぎに茅を編み込む。茅葺き職人も今や数少ない。斉藤さんの親父さんの方はもう亡くなられたが、今は息子さんがこの技を継ぎ、活躍していると聞く。
