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「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。

北山 鹿苑寺 金閣

1998年1月15日(木)
建築ニュース691号より転載

甦る黄金の舎利殿

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 国内外から毎年約200万人を集める京都観光のメッカ、金閣寺。この寺院は正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)といい、臨済宗相国寺派に属する。南北朝の統一、日明貿易などで有名な室町幕府三代将軍・足利義満にゆかり深い寺院である。

toku-2.jpg三層内部から秋の庭園を望む。みごとな光沢の黒漆塗りの床からは、窓ごしに青空が映って見える。(柴田秋介氏撮影)

 寺の前身は、公卿の西園寺公經(きんつね)が有する北山第という豪壮な屋敷であったが、将軍職を退き出家した義満がこれを1397年(應永4)に譲り受け、護摩堂・紫宸殿・天鏡閣・舎利殿などを造営したことにはじまる。

 いわゆる「金閣」とは庭園内の舎利殿のことで、三層宝形造り、屋根は柿(こけら)葺き。一層は寝殿造・二層は武家造・三層は禅院様式の美しい楼閣である。

 その金閣も、1649年(慶安2)・1906年(明治37)の2回の大修理を経て存続してきたが、1950年(昭和25)7月2日の火災により炎上。義満の北山殿建築の唯一の遺構の大半を失ってしまったのである。

toku-4.jpg二層南面の広縁。天井の鳳凰画は、再建後に描かれたもの。

 その直後、文部省・文化財保護委員会と、京都府教委で協議がされ、国宝の指定解除と金閣再建の援助が決定され、1952年(昭和27)着工。さすがに日本を代表する史跡の再建とあって、現場は大工が15人以上常駐する大規模な工事だった。

 工事にともない、京都大学の村田・赤松両教授、府教委の後藤技師など古建築の権威が、明治期の修理の際に作成された詳細な図面や古文書・焼損材に基づき、軸組・内部造作・柱間装置などの様式を決定していく。また、多くの建築学者や文部技官の協力を得て、後世の修理で創建当初の姿を失っている個所を排除し、創建当時の姿に復原する。

 材木は、尾州桧の最高のものを原木で仕入れ、良い部分を選りすぐって現場で木挽きする。棟梁の木村明治氏の指示により、次第に楼閣が立ち上がっていく。

 屋根は二・三層とも柿葺きだが、二層の引渡し勾配は、南北四寸、東西二・五寸の振れ隅、三層は同五・一寸の、いずれもゆるやかな広庇であるため、雨漏りの心配がある。そこで銅板を下貼りに用いて補強した。

 一層の柱は総て六寸角で面見付けは〇・七八寸。二層の柱は五寸角、三層では四・五寸角になり、二・三層では隅の柱高を平よりも延ばすいわゆる「隅延び」をとることにより、軒線を美しくみせる手法がとられた。

現在の金箔使用量は古材から割り出した

 再建後の金閣にどの程度金箔を押すかということもくりかえし調査された。

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sansoutokyou.gif(柴田秋介氏撮影)

 再建前の金閣は、今日見るようなものではなく、金箔が風化で剥げ落ち、明治修理の際に、三層のみに金粉で補強したものであった。また再建当時は、金の使用が禁止されていたということもあって、当初は「全層を白木仕上げ」という計画で工事が着手された。

 だが次第に金の使用が解禁されたことから「三層全体、壁面内外に金箔を張る。二層は黒漆塗り。一層は白木のままとする」という一応、前身建物の様式を踏襲する計画に変更された。

toku-5.jpg一層内部の仏間

 ところが、竣工も近づいた1955年(昭和30)春に「天井と床をのぞく二層全体にも金箔を張る」という計画変更を聞いたときには驚いた。これは明治修理の際に出た古材(二層隅木の先端)から、わずかに金箔の痕跡が見つかり、これによって創立当初の金閣は二層も金色であったことが確認されたのである。

金色帯びてゆく漆黒の楼閣に心がはずむ

toku-6.jpg三層内部・小屋組に龍の文字が見える(S28年.横井氏撮影)

 一層をのぞく壁内外、高欄や垂木先端にいたるまで漆を下塗りした上に静かに金箔を乗せていく。二・三層の床には、黒漆を塗り、乾燥したら砥石で磨きをかける。この工程を6度ほどくりかえせば、鏡のような光沢を放つ、みごとな仕上がりになる。

 黒々とした楼閣が、次第に金色を帯びていくさまを遠くから見て、心が弾んだものだ。このように金閣は卓抜した史料研究の成果を得ながら、名実ともに黄金の殿堂として甦り、室町時代初期の幕府の栄華を今に伝えているのである。

 私(横井)が、この工事に加わったのは27歳のとき。周りはほとんどが経験豊富な大工だったが、同年代の者も5人ほどいた。

 若者同士は意気投合し、弁当の時間になると、庭園の池に船を浮かべて遊んだものだが、今となっては、その消息すらわからなくなってしまった...。

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