その男山の南麓を切りひらいたところに、この地を代表する浄土宗の名刹・正法寺がある。正法寺は鎌倉時代前期の1213年(建保元)に、幕府の代官として八幡入りした高田蔵人忠國一族の開創と伝える。江戸時代に入ると尾張徳川家の庇護を受け、朱印高500石を領する大寺となった。同寺は現在、本堂・大方丈・唐門が、国指定の重要文化財となっている。
伽藍は、1629年(寛永6)から順次、再建整備され、本堂は鬼瓦の銘から1630年(寛永7)の建立であることが判明。さらに建物の解体調査により、以後40~50年ごとに屋根修理が行われてきたことも判ったのだが、今回の半解体修理が、最初の大規模な修理改変とあって、私(細川)も少々緊張したものだ。
本堂は桁行5間、梁間7間の入母屋造りで、屋根は本瓦葺き。正面(南面)には3間の向拝を配している。修理は1989年(昭和64)1月に着手。基礎の再構築と屋根・小屋組・縁廻りが、主な修理箇所となった。
本堂は、斜面の盛り土部分に建てられており、地盤が軟弱のうえ、長年の伏流水の影響で相当に不同沈下していて、向拝の柱が最大14cmちかく沈んでいた。そこで、本堂全体をジャッキアップし、礎石下を掘削し、コンクリートで地盤を固めた上、再度礎石を据えるのである。
慎重に水平を測りながら礎石上端の面を合わせ、均等に柱を乗せていく。長い時間をかけて転んでいった建物が、基礎面を補整しただけで、水平であるべき材は水平に、垂直であるべき材も垂直に戻るなど、ほぼ問題なく建ちあがった。これは良質な材を使用しているばかりでなく、建築当初の正確無比なる大工の仕事によるものである。
柱には桧・欅が使用されていた。保存状態は良好であったので、差し換える必要はなく若干の腐朽箇所をつくろった。東から2本目の正面側柱は、櫓継ぎにて根継ぎする。この継ぎ手は大阪城の大手門にも施されているもので、1983年(昭和58)に、X線写真が新聞にも大きく報道された。
浄土宗では、いずれも内陣を極彩色にいろどり、法具類も漆塗りや金箔押しを施すなど、他宗派にはない豪華さが特徴だが、正法寺の場合は、すべての垂木(地垂木・飛檐垂木。合計約800本)と化粧隅木に金色の逆輪(さかわ)が取り付けられていた。
逆輪とは本来は木口部を覆う逆輪金物のことをいうのだが、この寺のものは漆で下塗りされた一分厚の桧板に金箔が押された特殊なもので、今回の修理ではこのすべてを新調した。
陽射しをあびて黄金に輝く逆輪は、いっそう荘厳な雰囲気を放ち、寺院の歴史の重みを感じさせている。
