伽藍は中国風の建築様式で有名で、住持も江戸時代中期までは代々中国僧だった。寺号も中国福建省にある臨済禅の大寺「黄檗萬福寺」と同一である。
主要な伽藍はすべて重要文化財で、法堂(はっとう)の主柱は、中国原産の巨大なチーク材であることも見るべき特徴である。私(横井)が修理に入った東方丈(とうほうじょう)は法堂をはさんで西方丈と対の位置にある建造物で、質素な造りではあるものの、そこは開祖以来の住持の居所らしい風格を感じさせる。
東方丈の解体修理は1975年(昭和54)に着手。方丈の東側まぎわまで山が迫っており、ここに工事に必要な修理事務所や資材置場を設置するのだが、急な斜面に足場丸太を何段にも組み、そこに解体材を順序よく並べていくのである。
今回の修理では、明治初期に葺き替えられた屋根の桟瓦をおろし、元来の姿である柿葺(こけらぶき)に戻すのが、大きな変更箇所となった。柿葺とは、七~八寸幅・一分厚の椹(さわら)の柾板を葺き足一寸で重ね葺いていくのである。
栂(とが)材の柱、松材の梁をはじめ、構造材はおおむね良好な保存状態で、差し換えを要する材は少なかったが、長年にわたる風雨のため、軒付(のきづけ・柿葺・檜皮葺の場合の軒先の端部)が腐朽しており、また桟瓦の荷重に耐えられなかったのか、軒裄が破損寸前であったり、大きくねじれ、修理ではとくに、この軒裄のねじれ補正が慎重を要した箇所であった。
工事も仕上げに近づくと美装も施す。屋根西側の破風板と格子は新調し古色を付けるのだが、この作業をしたのが冬の寒い時期で、塗料をひと刷毛塗ったあとから、寒風で凍っていったのには驚いたものだ。
東方丈では毎月2回、管長を上座に朝礼が執り行われるのだが、それにしてもきびしい気候をものともせず、修行に励む若い僧侶には頭が下がる思いである。
