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「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。

渡邊家住宅

1997年9月15日(月)
建築ニュース684号から転載

丹波の茅葺き民家

7-1.jpg渡邊家。江戸時代の農家のくらしが息づくたたずまい

 丹波山麓、船井郡丹波町蕨(わらび)の集落にある渡邊家は、京都府内の建物としては珍しく、重要文化財に指定された民家である。

 渡邊家は現当主の渡邊雄一氏で13代か14代という古い家柄で、今回の修理にともなう発掘調査で、その地下に前身建物の遺構が見つかったことから、その先祖は中世からこの地で居住していたかもしれない。

 現存する渡邊家住宅が建立された年代は記録がなく不明であるが、創建は近隣の民家の仕様比較や、渡邊家の家系の沿革から推察すると、17世紀末から18世紀に至る元禄年間かと思われる。

7-4.jpg黒光りする栗の柱

 渡邊家は京都北部の集落に多く見られる民家で、屋根入母屋造茅葺きで、南側(正面)の「にわ」入口より東側に「しものま」「おもて」、奧東側に「だいどころ」「へや」の4間で仕切られている。「にわ」の西側には「まや」(馬小屋)、北側端に「ながし」を配する。

 柱はすべて栗材で、方柱や丸柱など、ふぞろいではあるが、釿(ておの)ハツリの地肌が黒々とした光沢を放つ。栗は水に強く、堅牢な材であるため、鉄道の枕木や車輪、家屋では土台などによく使われる。21丁あった下屋柱のうち18丁を新調する。古材も再用したが、後世修理の際に穿った不要の穴や腐朽部分を埋木する必要があった。

7-2.jpg縄の結びが映える軒先

茅屋根の葺き替え村をあげて手伝い

 修理前の家屋は畳敷きであったが、本来は板間であったため旧状に復する。また、叩き漆喰の「にわ」のほぼ中央に配してあった煉瓦積みの「かまど」を撤去、古様式のものに復原した。従来あった「ながし」も、戦後のコンクリート製であったが、脇の柱の形状から、古い農村に伝わる「座りながし」という様式であったことがわかり、これに倣い復原した。

 小屋組材(棟束・小屋束・小屋梁など)は、保存状態が良かったので、全材を再用した。垂木は棟から軒先までの長い杉丸太を使い、要所を縄で緊結するのである。天井は竹を簀子(すのこ)状に編んだ薦天井(こもてんじょう)といわれるもので、通気性にすぐれた生活の知恵である。

 屋根裏は茅を保存する空間になっている。「まや」上の天井の開口部から屋根裏に入り、20年に1度の葺き替えに備えるのである。

 今回の解体修理では、屋根葺きになると近所の人たちが集まってきて、手伝ってくれた。これはこのあたりの風習のようで、茅葺き民家が多い集落の人間関係にふれ、心温まる思いがしたものである。

忠実な復原作業は生活用具の類まで

7-3.jpgかまども旧式のものをあつらえた

 解体修理とは、建築物を創建当初の仕様に復原する作業であり、民家も例外ではない。当然それまで利用していた生活用具の類も全部、旧来のものに復原するのである。渡邊家でも、いまさら江戸時代の生活に逆戻りするわけにはいかないから、自己の住宅が文化財に指定される1950年(昭50)の前年に、敷地内西側に新居を建てられ家移りされた。いまではこの文化財の管理人として見学に来る人たちを迎えられている。

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