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「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。

大徳寺 経蔵

1997年5月15日(木)

建築ニュース677号より転載

優れた保存状態の唐様建築

10.jpg大徳寺本山・経蔵。この地下から室町期の遺構が発見された

 北大路と大宮通りに面する臨済宗の古刹、大徳寺は鎌倉末期の創建だが、享徳2年(1453)の火事と應仁の乱(1467~77)で焼失したと伝えられる。今日の伽藍は、天正年間から江戸時代初期に再建されたものである。

 経蔵(きょうぞう)は、重要文化財に指定された建造物で、三間四方・宝形造・本瓦葺で、内部に八角輪蔵(りんぞう・経典を格納する回転式の棚)を置く形式で、寛永13年(1636)の建立。昭和56年から2年間の解体修理では、腐朽した軒廻りの修理と、不同沈下していた基礎の据え直しが主な目的になった。

 地盤は、将来の沈下を防ぐために、コンクリートパイルを打ち込むのだが、事前調査のため、礎石まわりを掘削していると、花崗岩の石柱の上に礎石が据えてあることがわかる。さらに掘りつづけていくと、五尺の地下に、前身経蔵の室町前期の礎石が見つかった。

 この遺構は、経蔵の正面から側面にかけて三方をとりかこむ官池(かんち)とよばれる池とほぼ同じ高さにあることから、その後二度の造成で地盤を高くしたことがわかり、寛永の再建で、基壇上面まで石柱で礎石を支えたことなど、予想外の発見があった。

経蔵内部。美しいカーブを描く海老虹梁(えびこうりょう)

 修理では、基壇中央のすり鉢状の三和土にジャッキを差し入れ、輪蔵を支持し解体にかかる。柱はすべてケヤキ材で、梁・貫・桁などの構造材や、優美な曲線をもった繋虹梁(つなぎこうりょう)、海老虹梁(えびこうりょう)などはヒノキ材である。

 主柱は直径一尺二寸の円柱で、同寸で立ち上がるが、上下端を緩やかに丸めてある。これは粽(ちまき)とよばれる加工で、鎌倉期に禅宗の興隆とともに伝来した唐様(からよう)建築を代表する仕様である。側柱は、一面あたり4本あるが、そのうちの隅柱は中の柱よりも一寸(約3cm)丈を伸ばし、屋根の反りとともに、頭貫の上端の線を、隅に向かって緩やかに反りあげる格好に造りだしてある。

11.jpg一尺二寸の軸柱一本で支えられる回転式の八角輪蔵

 外装は、地覆から板壁・腰貫・飛貫・頭貫までヒノキで拵えてあり、花頭連子窓(かとうれんじまど)と、頭貫上部には波連子(なみれんじ)の欄間を配する。なお、波連子の形状は、大徳寺独特の意匠を有していた。

 基礎の据え直し以外は、差し替えを要する材も少なく、文化財としての保存状態は良かったが、相方の大工とで取りかかった地下掘削は大変だった。掘っても掘っても石柱がつづき、水が滲み出してくるのには参ったが、このおかげで貴重な遺構が見つかり、少しは苦労が報われた気分になったものである。

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