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「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。

醍醐寺 五重塔

1997年4月15日(火)

建築ニュース675号より転載

京都で唯一の全面解体工事

06.jpg優美な姿でよみがえった、国宝・醍醐寺五重塔

 伏見区醍醐にある醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山で、中でも五重塔は承平元年(931)に起工し、16年を経た天暦5年(947)に完成した平安時代後期を代表する貴重な遺構である。

 この塔の解体修理は、昭和29年からはじまり同34年までかかる大仕事で、修理前は、とくに屋根の傷みが激しく、茅負(かやおい)や裏甲(うらこう)、垂木のあちこちが腐っており、軒先が波うつような状態だった。

 棟梁を中心に大工8人と手許4人が現場に常勤し、前の時代の修理で、創建当初の姿を失っている箇所を復元するのである。

08.jpg当初の構法を復原した三手先隅組

 三手先斗きょうの隅組の二手先目の秤肘木が連続した形態になっていたのだが、これをもとの分離した形に復原すること。初重の側柱の下に大きなケヤキの土台があったが、これを元通り礎石の上に柱を立てる当初の工法に戻すこと。大きな復原箇所はこの二つだった。

07.jpg初重側柱の根継ぎ部分(昭和31年撮影)

 ヒノキの芯柱は直径二尺一寸で、ひときわ大きな礎石に据えてある。四天柱と側柱(ケヤキ材)には、土台がしつらえてあったが、これを取り去った分だけの根継ぎをし、高さを合わせるのである。

 傷んだところは新材に替え、初重から順に組み上げてゆく。長い年月を経た材はクセが強く、面(つら)を合わせるのに苦労した。

毎日が水糸とのたたかい

 それだけではない。塔はよく揺れる。屋根の頂上には、相輪(そうりん)の一部である方型の露盤(ろばん)に半球型の伏鉢(ふせばち)が載っているのだが、露盤にはいくつもの揺れ跡が、円弧の筋となって残っているのである。

 三手先の一手目で合わせたと思っていたら、翌朝にはもうひずみがきている。これが三手あり、さらに五層あるのだから、毎日が水糸とのたたかいであった。

 このように建ちあげていくと斗きょうなどに若干の隙きができてしまうが、土台になっていた古材を薄く板挽きし、埋め物とした。

 垂木の先端には茅負を渡し、この上に一寸厚の裏甲を二重に葺き、さらに本瓦が載る。垂木は並行垂木であるが、上部の裏甲は流し板状になり扇形に葺いてあるのも、この塔の特徴で、平安時代の建築構法を残す点で貴重である。

 京都府内にある五重塔ではじめての「全面解体」の修理であったが、その後も全面解体の例はなく、貴重な体験となった。

 工事を執り仕切った棟梁は北区の北村誠一郎さん。北村氏はいまも健在で、息子さんも宮大工を継ぎ、銀閣寺書院など、社寺で腕をふるうこと多数と聞く。羨ましいかぎりである。

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