ナビゲーションをスキップ

文化財の修理の現場から

月別
「文化財の修理の現場から」は「建築ニュース」671号(1997年2月)~705号(1998年9月)まで連載された記事です。記事の内容は「建築ニュース」に当時掲載されたままになっています。ご了承下さい。
建築ニュース705号より転載

美観一体の後世修理

17-1.jpg天球院本堂正面を南西から、外部の腰高障子と鴨居上の格子欄間を望む。紙の白、杉腰板と欄間格子の黒が絶妙のバランスをかもしだす

 右京区花園の広大な敷地に多数の塔頭を従える臨済宗大本山妙心寺。一条通りに面する北門から入ってすぐ右手にあるのが、天球院(てんきゅういん)である。

建築ニュース704号より転載

和洋古式の小屋組

16-1.jpg1954年(昭和29)の竣工直後の大報恩寺本堂(千本釈迦堂)。火災防止のための放水管のテスト風景(横井氏撮影)

 今出川通り千本の交差点から北西に、広く千本釈迦堂と称される巨大な古刹がある。正式には大報恩寺という真言宗智山派に属する寺院で、千本釈迦堂とはその本堂をさす。

建築ニュース700号より転載

襖絵が映える檜床板

15-1.jpg東側から見た本堂付廊下は茶席(重文)に連なる。

 聚光院は、臨済宗大徳寺の塔頭のひとつで、三好義継という戦国武将が1556年(永禄9)に没した父・三好長慶を弔うため、宗訴(そうせき)禅師を開山として創立。のちに千利休が院の壇那となってからは、茶道三千家の菩提寺として今日まで存続している。今回は、1980年(昭和55)に保存修理を完了した本堂の工事について触れよう。

建築ニュース698号より転載

一休禅師示寂の名刹

14-1.jpg南側(正面)からみた酬恩庵庫裏。妻入りの漆喰壁と黒々とした巨大な梁(はり)や海老虹梁(えびこうりょう)がバランスのよい造形美をかたちづくっている。

 最近、市政が施工された京田辺市の北西部、甘南備山に連なる丘の麓を切り拓いたところに、「薪の一休寺」が伽藍を構えている。

建築ニュース696号より転載

日本の技生きる洋館

13-1.jpg1883年(明治16)築の彰栄館は、校内最古の洋館校舎。外壁レンガは「アメリカ積み」だが内部構造に日本建築の技法を秘めている。

 京都御所の北、赤レンガの近代建築物が建ちならぶ同志社。この学園は1875年(明治8)、新島襄、山本覚馬の両者によって創立された「官許同志社英学校」が始まりで、現在の同志社は小・中・高校、女子学園から大学までを有する関西を代表する名門校である。

建築ニュース694号より転載

閑かな茅葺きの茶席

12-2.jpg傘亭外観。右手奥には同じく重文の時雨亭が、土間廊下で連なる

 東山安井交差点からなだらかな坂を東に上っていくと、右手に八坂法観寺の五重塔、左手に広がる高台にあるのが高台寺である。 豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために夫人の北政所(ねね。出家後は高台院古月尼)が1605年(慶長10)に創建。臨済宗建仁寺派の古刹として今日までの寺史を刻んでいる。

建築ニュース692号より転載

苔むす袴腰の唐破風

11-1.jpg退蔵院本堂。冬の日の短い晴れ間、つめたい雨を含んだ柿(こけら)の屋根からは湯気がたちのぼっていた。

 右京区花園の広大な寺域に多数の塔頭を従える臨済宗大本山・妙心寺。南門を入ってすぐ西に勅使門。さらに西にあるのが退蔵院である。この寺は山内の塔頭四十数寺の中でも屈指の古刹で、1404(応永11)年、波多野出雲守が、千本松原の地に堂宇を建立したのがはじまりとされる。

建築ニュース691号より転載

甦る黄金の舎利殿

toku-1.jpg

 国内外から毎年約200万人を集める京都観光のメッカ、金閣寺。この寺院は正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)といい、臨済宗相国寺派に属する。南北朝の統一、日明貿易などで有名な室町幕府三代将軍・足利義満にゆかり深い寺院である。

建築ニュース690号より転載

千利休ゆかりの名席

 洛北に偉容を誇る臨済宗大徳寺。そのほぼ中央、本山方丈の西に位置するのが、聚光院である。

建築ニュース688号より転載

光放つ黄金の飛檐垂木

9-1.jpg美しい庭園の奧にある正法寺本堂

 八幡市は古くから西部に位置する石清水八幡宮の門前町として栄え、男山付近は現在も、にぎやかな商店街から、参拝者を厳粛な雰囲気の神域へといざなう。