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【連載】地下足袋と軍靴をこえて 建設労組がなぜ平和運動を?その源流をつなぐ③

2022年10月4日

命を削って作った仕事が焼かれる
大手建設企業がアジア諸地域への侵略の時代に企業を発展させていった一方で、建設労働者は技術的作業を担う「工兵」として、あるいは徴用されて戦闘部隊に同行しました。その戦地で砲台や作戦上必要な施設の建設に従事させられたのです。そして、戦況が悪化する中で、各地で屍を重ねていきました。
国内の状況は、1940年に「大日本産業報国会」、1943年には「労務報国会」が結成されます。これが建設産業の戦争協力体制の徹底としての内地での動きとなります。
陸軍と当時の内務省の強引な指導で、各産業が戦争協力するための「大日本産業報国会」が結成され、その3年後に、大工・左官など建設労働者と日雇労働者(約130万人)を対象に「戦争遂行上の適正配置」をするためと称して、「労務報国会」が作られました。これにより徴用をまぬがれ国内に残っていた年配の仲間たちが、本土決戦に備えた軍事施設の建設に動員させられました。
また、「防衛上都市人口を分散する必要がある」として、住宅など建物の強制疎開の仕事に動員されていったのです。
当時を知る仲間の言葉が残っています。「命を削って作った仕事が焼かれちまう戦争は、私ら職人にとって敵だな」。これは建具工の川村富五郎氏の著書の中にあります。また、町の商店や住宅などを取り壊す疎開仕事の勤務動員に従事した、大工棟梁の荒井さんの「俺は作るのが仕事なのに、なんで壊しばかりやらさせるんだ」という言葉が残っています。
戦後、労働組合の結成
戦後になると組合が結成されていきます。1945年に労働組合法が成立し、翌年3月1日に施行されました。1946年には産別会議が163万人、総同盟が85万人を組織します。1949年の数字では労働組合の組織率が55・8%となり、法律ができ、憲法ができ、労働組合が各所に立ち上がっていきました。
そして1947年の「2・1ゼネスト」は占領軍の命令で中止をさせられましたが、ゼネストを打とうという位に戦後労働運動はすすみました。この1947年の6月に全建総連の前身の組織である、戦後初の建設労働組合の全国組織、「全日本土建一般労働組合」が結成されます。
その創設メンバーのおひとりである石工の伊藤清氏の言葉が残っています。それは、「建設労働者の腕や知識は絶対に戦争に利用させてはいけない。建設産業というものは平和であってこそ『社会的有用産業』として発展することができる」というものです。つづく

【建築ニュース1212号(2022年10月15日付)】

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