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1960年代 / 協定賃金運動 始まる / 省庁申入れ 街宣でアピール

2010年6月 4日(金)
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 日本経済は、池田内閣の所得倍増・高度成長政策などにより、国と資本が一本化となって、設備投資を行い、生産を拡大し、建設産業も伸びましたが、物価高騰もあり、職人の仕事とくらしは困窮していました。
 1960年代に入り、賃上げ要求が高まり、賃金協定運動が前進。京建労では、1961年の年頭から「建築職人の賃金は1200円になりました」という京建労独自の要求額をかかげ、運動を展開。
 また、全国統一要求も重視し、同年3月、1日1500円という基本要求が出された全国賃金集会などにも、積極的に参加しました。

 8月10日、関西で賃金統一行動を成功させ、同日、東京では全国から4000人が参加し、建設省はじめ、各省庁への申し入れ、デモで世論に訴えました。
 青年部を先頭に各支部、分会でステッカー貼りなど大規模な宣伝が展開され、実質賃上げを勝ちとるなど、成果をあげ、この協定賃金運動は、その後1970年代半ばまで着実な成果をあげました。

 

高度成長の昭和期 / 職人の存在感アピールし行動

954-8-4.jpg【舞鶴・中出重忠さん】
 私は1965年(昭和40)に18歳で京建労に加入、当時の賃金運動には青年部員として参加してきました。
 協定賃金運動は、60年代から70年代にかけて、建設労働者の獲得すべき賃金としてのアピール力を発揮してきました。
 当時は全建総連の加盟組合が他産業給与労働者の年収などと比較した要求額を都道府県単位で発表していましたが、京都府北部では、地域相場を反映した「北部要求」の併設を試みてきました。
 全建総連関西地協の「京阪神統一賃金」の実現は、京建労の組織力の反映だと思います。
 今日、一人親方での建設就労がふえています。現場も機械化や分業化で仕事が過密になり、賃金に現れるところの「職人の労働力の価値」が減り、その分が建設資本の儲けに回っているのではないでしょうか。
 最近の一人親方層は、社会保障費や福利費が「自分持ち」の労働者です。
 歴史の節目にあたって、「賃金とは何か」、「技術とは何か」話し合う機会があれば、と思います。

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