1950年代当時は、建設業で働く職人は「道具を持っているから」という理由だけで、事業税がかけられていました。
戦後の権力的な徴税に加えて、職人・親方という上下関係のもとで「職人に事業税をかけるな」の運動がわきおこりました。
「死んでも(税金を)払え」という税務署の家財道具差押えとのたたかいの中で、18人の大工が集まって「全京都自由労働組合・大工支部」を結成しました。これが現在の京建労の始まりです。1950年7月20日のことでした。
みんなは一人のために / これこそ労働組合

1950年代を知る仲間は、次第に少なくなっていますが、伏見支部の桑田清さん(79・大工)は、組合の草創期、暗い戦前から解放され、全身のエネルギーで組合活動にとりくんだ仲間です。
右京支部で組合加入した桑田さんは、吉原・吉田・加治さんら、当時の組合役員とともに行動。民主運動の弱体化をたくらむ警察の介入ともたたかってきた経験もあります。
「その時代、職人に事業税がかけられていたことで、みんな苦労していた。加治さんなどは、仲間の事後調査の立会いによく足を運んでいた。一人の仲間をみんなの力で守る。これこそ労働組合」と話します。