京建労60周年記念事業
60周年記念事業
続きを読む: 仲間の参加で盛大に / まつり会場 展示物を 公募③
続きを読む: 仲間の参加で盛大に / まつり会場 展示物を 公募②
続きを読む: 仲間の参加で盛大に / まつり会場 展示物を 公募①
クローズアップ60年
日本経済は、池田内閣の所得倍増・高度成長政策などにより、国と資本が一本化となって、設備投資を行い、生産を拡大し、建設産業も伸びましたが、物価高騰もあり、職人の仕事とくらしは困窮していました。
1960年代に入り、賃上げ要求が高まり、賃金協定運動が前進。京建労では、1961年の年頭から「建築職人の賃金は1200円になりました」という京建労独自の要求額をかかげ、運動を展開。
また、全国統一要求も重視し、同年3月、1日1500円という基本要求が出された全国賃金集会などにも、積極的に参加しました。
1960年代当時は、建設労働者・職人の社会保障と言えば、戦後、全国の建設労働組合の運動によって得た日雇健保と一人親方労災保険の適応だけでした。
1964年3月、当時の厚生大臣が、赤字を理由に日雇健保の廃止を打ち出すと、全建総連などは日雇健保廃止反対を要求し、日雇健保共闘委員会を結成。
1950年代当時は、建設業で働く職人は「道具を持っているから」という理由だけで、事業税がかけられていました。
戦後の権力的な徴税に加えて、職人・親方という上下関係のもとで「職人に事業税をかけるな」の運動がわきおこりました。
「死んでも(税金を)払え」という税務署の家財道具差押えとのたたかいの中で、18人の大工が集まって「全京都自由労働組合・大工支部」を結成しました。これが現在の京建労の始まりです。1950年7月20日のことでした。