アスベスト闘争

危険知りながら使わせたなら、長期間の大量殺人・拷問だ/関西建設アスベスト京都2陣訴訟

2019年8月6日

 7月18日に京都地裁で開かれた関西建設アスベスト京都2陣訴訟の第13回期日には全体で73人(原告と遺族11人・京建労56人・支援6人)が参加しました。
今回の期日では、故山谷(元伏見支部)さんの娘さんで遺族原告の島田さんが尋問に立ちました。
また、閉廷後には場所を新島会館に移して報告集会を行いました。

遺族原告の法廷での訴え/島田さんの尋問の一部抜粋

左官だった父が仕事から帰ってくると、いつも頭から全身真っ白、顔やまつ毛も真っ白でした。
息ができない程の激しい咳をしていて、兄の長女が心配して強く説得してくれ、やっと病院に行きました。結果、「肺がんステージⅣ」と診断され、腫瘍は7cmまで大きくなっていて、もう除去できる状態ではなく、お医者さんから、「おそらくアスベストだと思います。申し訳ないのですが、お父さまが生きているうちに認定するのは困難ですが、亡くなってから肺を取って調べれば分かることです。お父さまは国のためにがんばってこられたのだと思います」と言われました。それを聞いて父は泣いていました。「がんばってきた」と声をかけてもらい、嬉しかったのだと思います。私は、『死後に父の肺を取り出して持って行く、そこまでしないといけないのか』と複雑な気持ちでした。
母は、父の死からしばらく経った後も、たびたび私に「お父さんはどこ行った?」と聞きました。私はその度に、父は死んだと伝えました。父の死から1年経っても、そのやり取りは続きました。私は母が認知症になったのではないかと心配し、医師に診てもらいましたが、「認知症ではない。ショックが大きいのかもしれない」とのことでした。母は、父を失った事実を受け入れたくなかったのだと思います。
アスベストで病気とたたかっている人がたくさんいます。父は我慢強く、あまり言いませんでしたが、肺がんと診断が出る前の酷い咳も本当はすごく苦しかったのかも…。地獄だったかもしれない。国や企業が、危険と分かって使わせていたなら、長期間にわたる大量殺人・拷問だと思う。建設現場で働く人を人として扱っていない。(文責編集部)

【建築ニュース1149号(2019年8月15日・9月1日合併号)】

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