アスベスト闘争

京都2陣訴訟24回期日/「父奪った国とメーカーを許さない」

2021年12月7日

 11月25日、午後2時開廷で関西建設アスベスト京都2陣訴訟第24回期日が行われました。京建労では傍聴支援行動として京都地裁前に午後1時集合で各支部の仲間が支援に駆け付けました。
 今回の期日では元大工である2人の被害者に関して、遺族原告への尋問が行われました。また弁論に立った遺族原告はいずれも現役の大工として現場で活躍する子息で、親子で現場に立ちながら市民の「住まい」を守り続けた経験、尊敬する父親であり師匠でもある故人を失った無念を裁判官に語りました。

まず最初に弁論に立ったのは南支部の瀧山さん(47)です。同じ大工として現場で活躍していた父親の茂男さんは、2018年に原発性肺がんが発覚、壮絶な闘病生活を経て2021年1月17日に亡くなりました。
原告側弁護士の質問に対して、しっかりとした口調でわかりやすく回答する直紹さん。大工の作業内容、茂男さんの仕事ぶりや現場経歴など詳しく丁寧に答えていきます。
尋問が続く中で茂男さんの闘病生活に話が移ると、悲しみに満ちた震える声に変わり、時折思いを噛みしめながら、大切な人を失ったやるせない感情を裁判官にぶつけます。
直紹さんは「父が亡くなる直前、泣きながら『家に帰りたい』と私に訴えかけたとき、『ちゃんとごはんを食べないと家に帰れないよ』と諭しました。本当に辛かった。孫たちと触れあいたかったろうに。この痛みと苦しみを父にもたらした国と建材メーカーを許すことができない。私も建設従事者です。父と同じ現場で働いてきた以上、同じことがおこるかもしれない。しっかりとした対策、資金援助や法整備をあわせてしてほしい」と訴えました。

父は憧れの存在だった

続いて弁論に立ったのは北支部の廣瀬さん(47)です。廣瀬さんも父親の和男さんとともに大工として現場を踏んできた仲間です。
和男さんが悪性胸膜中皮腫と診断されたのは2012年5月でした。「余命3ヵ月」の非情な診断。弟さんも含めて3人で新築一戸建ての現場をやり上げた後のできごとでした。
診断後も和男さんは「必ず現場に帰るさかい、ちょっと頼むわな」と希望を捨てず抗がん剤治療などを試みましたが、その年の7月に息を引き取りました。和男さんの闘病には和幸さんをはじめ、お母さんや弟さんも必死に支え続けました。しかし現場に帰る夢は叶いませんでした。
生まれてから和男さんが亡くなるまでずっと一緒にくらしてきた和幸さん。和男さんが隣にいなくなった寂しさと無念を語りました。「仕事熱心で職人気質の父でした。私が大工職になったのも父への憧れでした。夏休みなど学校が休みになれば父が活躍する現場を見に行き、かっこいい父を見ながら物づくりの仕事への思いを募らせました。なぜ父がこんな辛い思いをしなくてはいけないのか。そして自分や弟も被害を受ける可能性は少なくない。本当に辛くてやるせない思いでいっぱいです。私が原告になったのは父の無念を晴らしたいという思いと、将来アスベストで病気になる人たちがいるかもしれない。その人たちのために自分がやれることがあるという思いからです」と未来の建設業を守るためにも、早期解決を求めました。
被告代理人からはニチアス㈱(旧日本アスベスト㈱)などが原告に反対尋問を行い、閉廷。原告や参加者は報告集会へと移りました。

新たに10人の原告和解/早期の解決求め今後も交渉

期日終了後に上京区の新島会館で報告集会が行われ、支援者や他の原告とで瀧山さんと廣瀬さんをねぎらいました。
原告団からのあいさつでマイクを握った2陣原告の岡嶋さんも「お二人ともご苦労さまでした。私にもお二人と同年代で同じく建設に従事する息子がいます。私は本人原告として訴訟に参加していますが、残されたものの立場から、本当に尊い思いを抱えて裁判に参加されているなと、胸が締め付けられるようでした。この問題は早期に解決しなければいけないと感じました」と傍聴の感想を話しました。
なお弁護団から事務局長の福山和人弁護士が次回以降の進行協議の結果を報告。最高裁判決を踏まえて和解などの解決へ向かう訴訟の進行状況などが報告されました。
また今回もすでに弁論を終えている仲間との和解協議が行われ、10人(被害者単位で9人)の原告と和解が成立したことがあわせて報告されました。
報告集会終了後は、詰めかけた記者団に対して和解に応じた原告や、弁護団長の村山晃弁護士や福山弁護士が会見。解決に至った経緯や今後抱える課題や目標などさまざまな質問が寄せられました。

【建築ニュース1195号(2021年12月15日付)】

一覧に戻る

特集

  • 京建労住宅デー
  • 若者に魅力ある建設産業に